石井組織部長
東京土建が大手ゼネコンや行政に対して発言力が増したのも、どけん共済などの組合の制度が充実したのも組合員が増えたからです。
現場での仲間、外注先、下請けなど未加入者はあなたのそばに、必ず仲間はいます。
組合員なら仕事仲間に、東京土建の良い制度をどんどん宣伝して、紹介してください。
9月より、秋の仲間を増やすキャンペーン「拡大月間」が始まります。月間を成功させるためにもお力をお貸しください。よろしくお願いいたします。
2009年原水爆禁止世界大会が8月7‐9日長崎市で開催されました。
私は原水協港区代表団の一員として支部の小川書記長(区労連より代表)とともに参加しました。
初日の開会式には28ヶ国83名の参加者があり5ヶ国の政府代表のメッセージがありました。オバマ大統領が核兵器は廃絶しなければならないと歴史的な演説を行った後の大会で「核兵器のない世界をつくる」私たちの思いを強くした世界大会でした。
平和祈念像の前で(左から2番目が西村さん)
原爆資料館で案内人(被爆者の方)の詳細な説明により多くを知りました。現在も身体や心に深い傷を負い多くの被爆者が今でも苦しんでいるとのことです。
9日の平和記念式典には原子爆弾の犠牲となられました多くの御霊のご冥福を祈念しました。開会式には7400人の参加で2010年5月のアメリカでのNPT再検討会議に向けて核兵器廃絶への道を切り開こうとの講演がありました。そして「核兵器のない平和で公正な世界」をつくり上げ世論を盛り上げましょうの言葉を最後に閉会しました。
港支部代表をして参加させていただき感謝しお礼申しあげます。
代官山で戦災にあう
市川さん
戦後早64年。テレビで広島、長崎の原爆者慰霊平和祈念式典を観て思った事は原爆の恐ろしさ、64年もたつのにいまだ後遺症に苦しんでいられる方々、本当に胸がつまります。東京も空襲に、私の家も渋谷区代官山で戦災にあいました。兄の勤めの関係で新潟に疎開しましたが、知らない土地で、母、姉、兄達と大変でした。戦後東京に帰って来て元の所にバラックを立て、お弁当箱でパンを焼いて食べたことなど思い出されます。戦後の復旧は著しく家業の花屋を再会し商売も順調に運びました。戦争が終って本当に良かったと思ったものでした。【麻布・塗装事務・市川正子】
父は出征 母は病に
横田さん
毎年8月に「平和特集」が載ると思い出します。
それは戦争中、父は戦地へ、母は病にかかり祖父母と私たち子どもだけでは看病できないので、母は自分の生まれた家で養生することになり、私達家族ははなればなれの生活をすることになりとてもつらくてさみしい思いをしました。これも戦争があったからです。
今、日本は平和。でも世界の色々な国で争いがおきています。二度と私たちのような悲しい思いをさせてはいけないと思います。ぜったい戦争はいやです。【麻布・畳事務・横田清美】
3種類の味噌汁で塩分チェック
7月31日、社会保障対策部主催で、芝病院より中井保健師を招き、健康教室を開催しました。参加者は23人で、高血圧予防についてプロジェクターを使った学習で健康に対する意識を高めました。全員が国保組合より支給された血圧計と保険師による血圧測定をしました。また、主婦の会の協力により、味噌汁を3種類用意して、自分にあった味を選び塩分チェック。結果は塩分の多い方を選ぶ人が多いようでした。塩分の取りすぎは高血圧になりやすい、心筋梗塞、くも膜下出血、動脈硬化などの合併症にもつながります。塩分、お酒の飲み過ぎ、たばこを控え、高血圧の改善に努めましょう。また、健康診査は必ず受けてください。目標の40%を達成しないと後期高齢者支援金にペナルティを課されてしまいます。
大勢の参加者でにぎわう
前日までの天気がうそのような夏らしい暑さの7月26日(日)主婦の会と後継者対策部の共催企画で八景島シーパラダイスに行きました。85人、24家族もの大勢が参加しました。品川駅集合組の21人で残りの60人ほどが待つ八景島へ。用意していた青いリボンを配り、八景島大橋を渡ってレストランへ。あまり大勢なので、集合写真を撮るのも諦めて食事することにしました。
食後に水族館のチケットを配りながら「1時半から白イルカのショーがありますよ」と言ってテーブルを回り子どもたちにお土産を渡して解散となりました。
子ども好きの娘と参加した私はお父さんの都合で2人だけでの参加になった龍之介くん(2歳)母子と一緒に水族館をまわりました。
白イルカのショーを見たり、ペンギンを触ったり…。おかげで楽しい1日を過ごせました。
【芝・主婦・佐藤民子】