建設労働者の労働組合でつくる全国建設労働組合総連合(全建総連)東京都連合会主催の「建設労働者の未来をひらく2・14大集会」が真冬の2月14日(火)日比谷野外音楽堂にて開催され港支部から22人の仲間が参加し(全体3120人)鍛冶橋駐車場までデモ行進を行いました。
今、建設現場労働者の労働環境は依然として低賃金・長時間労働など改善の兆しが見えず、若年者の入職不足、現場の主要な作業を担ってきた技能労働者の高齢化による離職も増加し全国的な技能労働者不足になっています。
この状況に対して、国は社会保険加入促進を推進、公共工事設計労務単価を4年連続引き上げました。日建連は建設技能労働者の賃金水準530万円に向けて努めること、また34歳以下の若者を中心に90万人の確保に向けて就労環境改善を提唱しています。
しかし、実際には適正な工事費や経費、社会保険料相当分が下請企業まで行き渡らず、労働者を外注化せざるを得ない事業主がいます。また、現場労働者の賃金引上げはまだまだ実現されていません。現状を放置すれば、若年労働者の入職減・離職増加により建設産業の将来を担う技能者が不足し建設業界全体が成り立たなくなります。
港支部でも賃金・単価引き上げに向けて広く世論に訴えるために3月24日(金)午前8時より浜松町駅北口に集まり宣伝行動をおこないます。多くの仲間の参加で成功させましょう。
これからも、労働者の賃金引上げに向けて、政治と世論に幅広く呼び掛け、実現させる「大運動」を展開していきましょう。
沖縄県警は11月29日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾《ぎのわん》市)の移設先となる同県名護市辺野古近くの米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、移設反対派がコンクリートブロックを積んでゲートを封鎖したとして、威力業務妨害容疑で反対派に対する強制捜査に着手しました。家宅捜索場所はゲート前で反対派が拠点にしているテントなど10数カ所に上ります。
県警は、妨害行為を主導したとして3人を同容疑で逮捕した。また沖縄平和運動センター議長の山城博治被告=傷害罪などで起訴=も再逮捕する方針です。
反対派への大規模捜索は極めて異例で、県警はブロックを大量に購入した資金の流れの解明も目指すものと思われます。
移設反対派は昨年1月22日頃からゲート前に大量のブロックを積み上げ、移設工事に関係する車両の出入りを妨害しました。県警は同月30日、威力業務妨害容疑で捜索差し押さえ令状を執行し、約1,400個のブロックを押収しました。
警察の捜索は基地反対運動に対する弾圧です。
沖縄平和運動センターなどの強制捜査と山城博治同センター議長の再々逮捕、長期の拘束は行き過ぎです。明らかに、高江の工事が終了するまでは、山城議長を釈放しない、警察法がうたう「公平中正」の理念に反すると指摘せざるを得ません。
県警は基地反対、平和運動の拠点である同センターからパソコンなどを押収しました。
運動に関わる人々の情報が公権力に渡り、基地反対運動を委縮させる効果を狙っています。
捜索、押収の必要性に疑問がある。山城議長の長期拘束も同様です。
基地建設の国策に警察が加担する−そのような疑いを県民に抱かせました。県警への県民の信頼が大きく揺らいでいます。
11月29日は、沖縄県警が辺野古での家宅捜索を実施した関係で、座り込み人も少なく、午前中にトラックによる搬入は終了してしまいました。午後4時からは、不当逮捕と警察権力による新基地建設反対派への弾圧に抗議し、名護警察署前での抗議集会と市内一周の抗議デモが実施されました。抗議デモには約80人が参加し、1時間後に名護警察署前に戻っての抗議集会には、歩道を埋め尽くすような人だかりとなりました。集まった人たちが、思い思いに抗議のあいさつをし、激励の歌を歌い、逮捕された仲間を激励しました。
集会の最後には、高江に集まろう。工事を中止させようと決意を新たにしました。
11月30日は、いよいよ帰京する日となりましたが、高江を激励してからの帰途にしようと早朝から高江に向かいました。8時過ぎに着いてみると、地元の住民や支援者など300人近くが座り込み、引き続く続々と三々五々地元の住民が集まってきていました。
毎週水曜日と金曜日が集中座り込み日として、沖縄県の隅々からの支援者が詰めかける日となっています。300人近くの人たちがN1ゲート前を占拠すると、壮観であり、500人の機動隊員も手が出せない有様で、朝方機動隊のバスの配車はゲートの真ん前の川父iンバーとなにわナンバーの警察車両4台が残るだけの寂しい体制となり、2時間後には2台が帰るなど、ダンプによる砂利の搬入がされない一日となりました。多数の住民や支援者が詰めかけることにより、如何に屈強な機動隊員と云えども、無抵抗で座り込む住民を物理的に排除するためには、数倍の機動隊員の配置が必要となります。
沖縄県東村高江の特徴は、沖縄県の北部に位置し、山原(やんばる)と言われる山深い亜熱帯の原生林が特徴となります。沖縄島(沖縄本島)の北部地域であり、大宜味村、東村、国頭村、名護市あたりをさし、貴重な自然が残り、沖縄県の水甕ともなっています。大宜味村、東村、国頭村の北部3村は、自然環境が比較的良い状態で残っており、地政学的には日本列島が大陸と陸続きだったころの自然環境を残しているとも言われ、多くの動植物が生息し、天然記念物となっているヤンバルクイナ、ノグチゲラ、ヤンバルテナガコガネ、オキナワイシカワガエルなど、生息域が山原の山の中であり、ほぼこの3村に限られたものが多数みられます。
沖縄県の基地問題は、人権問題だと感じました。米軍基地があることの不安、米軍族には治外法権が認められ、事件・事故が起きても当事者を訴えることもできず、基地の中に逃げ込まれ本国送還されることで、事件・事故がうやむやにされてきた歴史があります。
沖縄に米軍基地があることが当たり前ではなく、米軍基地の中に沖縄県民が住んでいることを本土の我々は、知らなすぎると感じました。本土の我々は、米軍基地を沖縄に押し付けて、日本人には関係ないことのようにふるまっています。沖縄に足を運び、沖縄の実態を理解することが必要です。沖縄のことを理解しない本土の人たちこそ、大阪府警の警察官の発言にみられる、差別意識をもって沖縄県民を見ているといわれても致し方ないことではないでしょうか。同じ人間として、日本国民として、沖縄に歴史に鑑み、米軍基地の撤去を、海兵隊の県外移転を、国外移転を、共にめざすことが求められると考えさせられる沖縄訪問でした。
(書記局 小川 均)
当日は、組合員24名・女性3名の参加で丸の内鍜治橋駐車場バスターミナルから、朝10時出発の直行便で首都高常磐道。福島県の「スパリゾートハワイアンズ」へ約2時間30分近くで到着しました。昼食をいただいた後、講師伊東連他先生からの「震災の被害とその後の福島状況」の話を詳しく説明してくれました。とても勉強になりました。夜6時からは、交流会で、組合員の仲間と酒を飲みながら楽しく過ごしました。20時からは「フラワーショー」を見学し、本場に負けない迫力がありました。二日目は、朝食を食べ朝8時30分にホテルを出発して、バスにて原発事故被災地視察に伊東先生の案内で、「広野・楢葉町・富岡・大熊・双葉・浪江町」色々説明してくれました。昼食を食べた後、富岡町に降りて、「富岡第二中学校」を視察しました。地震が起きたままの講堂でした。そのあと、楢葉町地域の「宝鏡寺」に寄り、住職・早川篤雄さんから反原発活動40年報告を聞き、勉強になりました。ホテルに戻り、15時出発の東京駅直行便に乗り、17時50分頃日本橋口に着きました。
参加者の皆様2日間本当に、ご苦労様でした。
(福寿会副会長 三井田昭男)